【哀悼】若き女子プロレスラーの訃報に接して

大変残念なニュースが入ってきました。
若く将来のある方が命を落としてしまうというのはなんとも悲しい話です。

まず、この件でアクセス数を稼ごうといった意図はありません。よって本記事では固有名詞を出さないこととします。読みにくいかもしれませんがご容赦ください。

それでも何かを書きたいという気持ちになったのは、自分がこのブログを運営している意味と関連しているからです。放映権を中心にスポーツビジネスの話題を主として取り上げていますが、このテーマを選んだのには、スポーツの裏に流れる人間臭さと言いますか、一種の「業」を捉えたいという気持ちがあります。

この世界には「大人の事情」や「暗黙の了解」がたくさんあります。これらは知らないほうが純粋に楽しめるのかもしれません。しかし、自分は知りたいのです。それを知ったうえで、なおスポーツというものを楽しみたいと。

プロレスはスポーツか、という議論もあるとは思いますが、スポーツでありショーであるという立場をとることにします。スポーツを成立させるためにアスリートは日々鍛練し、また多くの裏方が汗を流しているのです。

それと並行して、亡くなった選手は「リアリティショー」というカテゴリーに分類されるテレビ番組に出演していました。リアリティショーの定義も単純ではないのですが、一定のルールの枠組みである程度自由に行動し、その姿が番組になります。

ある意味プロレスと似た世界だと言えるのかもしれません。ただ、明らかに違うのはテレビは編集された世界であるということ。キャラクター設定は当然あるのですが、編集によって番組スタッフがキャラクターをより強く印象づける余地が大きくなります。

そもそもプロレスという文化はハイコンテキストなものですが、リアリティショーもそれに匹敵するハイコンテキストな文化であり、同時に属するのは若者にとって荷が重すぎたのかもしれません。

もちろん同じことはファンにも当てはまります。見た感想を直接本人に、しかも思いつくままの言葉でぶつけることができてしまう状態は明らかに健全ではありません。

リアリティショーに恋愛要素を絡めた番組はここ数年増加し、視聴者も出演者も若者が中心になっています。これらを売りとするネット放送局も出るほどです。メディアリテラシーの必要性が叫ばれる中で、若者たちを守ってあげられなかった大人の責任はやはり重いと言わざるを得ません。

零細ブログの著者にできることは些細なものでしかありませんが、ふだん見ている画面の向こうでどんな人たちが動いているか。画面に映らないところにどんなものが隠されているかを少しでもお伝えすることで、少しでもお役に立てるのではないかと考えております。

そこにあるのは汚く、泥臭い人間たちの姿かもしれません。でも、それをひっくるめてスポーツは成り立っているのであり、それゆえにスポーツとは楽しいものなのです。

改めて、犠牲となってしまった選手のご冥福を祈ります。再びこのようなことが繰り返されることのないように。

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