放送大学でオリンピックの歴史を学んできました。(後編)
約1か月空きましたが、2回目の講義に行ってまいりました。前回の記事はこちら。
ナチスの宣伝に利用された1936年ベルリン大会の話、ドーピングの話などオリンピックの闇もあり。また、1964年東京大会が現在に残したレガシーの話もあり。
そして、最後にはアスリートとは何者なのか、そして2020年大会の後に我々がレガシーとして残せるものは何かを問うところで終了となりました。いやぁ、いろいろと勉強にやりました。
歴史の話は詳しく書くとドラマ「いだてん」のネタバレになりそうなところもあるのですが、政治や商業主義に翻弄されながらも現代まで続いてきたオリンピックの意義を問い直すのにふさわしい内容でした。
当ブログ的には、オリンピック精神とは単に競技力の向上ではなく、人間としての成長をはかること。また、オリンピックは教育活動であり、これを世界に広めることによって平和にも貢献できること。この点を強調しておきます。もちろん現実には大人の事情がいろいろと蠢いているわけですが。
競技力のみを問うのであれば、各競技の世界選手権があれば充分。いまはテレビやネットで手軽に観られる時代です。
教育目的を謳うからこそ、オリンピックがわざわざ多くの競技を1か所に集める意味があるわけです。また、オリンピックは多くの人が観られるものであるべきで、そのためには無料放送が前提となります。
将来的にオリンピックも有料放送になってしまうのでは?という懸念を持つ方も多いかと思いますが、IOCが当初の理念を忘れることがない限りは無料放送が続くはずです。忘れてそうな気もしますけど(^-^;
こんな感じで単位もらえますかね…
すでにレポートは提出したのですが、この記事は当ブログなりの視点で書いたもうひとつのレポートであります。読んで頂きありがとうございました。
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