『いだてん』で学ぶスポーツ中継と放送権の歴史。

とかく世間では低視聴率のことばかり騒がれる大河ドラマ『いだてん』ですが、筆者は超楽しんでいます。だってこんなブログやってるくらいですから(^-^;

低視聴率の要因についてはいろいろと分析されているので多くは語りませんが、情報量の多さがひとつかと思っています。一度見ただけではわからない内容が詰まっており、あとで史実との「答え合わせ」が待ってます。ほんと、あのドラマには史実が多いんです。

1932年のロサンゼルス五輪で行われた「実感放送」もまた史実。アナウンサーが競技を観戦した後、スタジオで実感を込めた中継を行いました。このことに関する記録はNHK放送文化研究所がまとめていますのでぜひご覧ください。
なぜ実況放送ではなく「実感放送」だったのか。先の資料には「放送権料の問題」があげられています。いまから90年近く前にもすでに放送権は存在していたのですね。

※当時はラジオでしたから「放映権」ではなく「放送権」が正確ですね。本記事では放送権で表記を統一します。
当時はいまほどスポーツビジネスが盛んではなく、放送権という概念もまだ黎明期。主催者と放送局が個別に契約を結んでおり、ロス五輪においてはIOCとNBCが契約。NHKはNBCから設備とスタッフを借りて中継を行う予定になっておりました。

これがご破算になったのは、IOC側の要求によるもの。ラジオ中継によってチケットが売れなくなると困るので放送権料をもっとよこせ、と。つまり補償金的な意味合いだったわけですね。
そのとばっちりでNHKの実況中継も不可能に。ただしNBCはスタジオを貸してくれたので苦肉の策として「実感放送」が行われたわけです。

現在のオリンピックの放送権を持つNBCとはなんか態度が違うように感じますが…歴史的な皮肉でしょうか。
現在の放送権の概念にはさまざまな権利が包含されていますが、「チケット代の補償」というのは実はまだ残ってまして、アメリカのスポーツには「ブラックアウトルール」というものが存在しています。詳細は以下の記事などをご参照ください。
『いだてん』にはこれまた賛否両論の落語パートが登場しますが、落語においてもラジオ中継を認めるかどうかについては大きな騒動がありました。このエピソードは同じNHKの朝ドラ『わろてんか』でも描かれています。

結局のところラジオによる宣伝効果が認められて、スポーツも落語も積極的に中継が行われていくようになっていくわけですね。これがいまのような巨大ビジネスに発展するとは。当時の人たちはおそらく想像していなかったでしょう。

『いだてん』は1936年ベルリン五輪に向かっていきます。ナチスの闇と、いまも名実況として名高い「前畑ガンバレ」。とにかく史実から逃げず、正面から受け止めるのが『いだてん』ですから、どう描かれるのか筆者も受けてたちたいと思います。

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